他人の思いがわからないとき
他人の思いがわからないとき:慈しむ心に至福音信
自分と異なる他人でも仲良くしたい。それがむつかしい時もある。慈しむような付き合い方も相手の感情を知らないと見当違いに受け取られる。
他人の思いは理解できないですね。ココロノシマでは自分自身が大切と考えて他人も同じと思ってます。つまり、相手の事はわからない、のが前提です。人の思いは違うけれど、平等に地球は慈しむ。人の弱さを知って心は強くなると感じます。
年々歳々、人を眺める満月の囁き。今日のテーマは「他人」です。
他人の思いを考える
「私は人の心が解らない」 たまにそういう時があります。
ココロノシマでは、親子や夫婦でも心が離れたら 他人、と考えてます。人は、みんな、自分自身の世界を創っているから。
言葉や仕草で良い雰囲気を作れば、相手の感情もかわる、ときは有るが、人は色々、考えも様々で、表情ではわからない方も居ります。
人間関係で良い雰囲気になるために理解しやすい方法はある。
- 無理して隣人へ 合わすこともない。お互いに わかり合えるから。「理想ではあるけど、私の知り合いで云々」
そういう意見もありますが、理想へ近づきたいです。
ぬくもりを相手に 与えるだけで自分自身の魂は 安らぐ「心が良い雰囲気になる」 - 他人なんて ほんとは居ない。
巡り合えたのも、ぬくもりを探して、たどり着いた場所が一緒だから 。縁があることになる。 - 人間社会は他人の集まり、喜怒哀楽を抑え込んでいる。規則やマナーで縛られるから、言いたい事も言えない。
お互いを認め合う隣人。他人の思い(心の中)は、その人が考える。注ーこの記事では、自分から見た考えで、付き合い方は「私の気持ち隣人他人の思い」へ受け継ぎます。
暮らし生活の中で生れる縁の他人。大きな人間社会も自分自身の生活に関わっている。だから、この世は
他人の創る世界と自分自身の創る世界が「喜怒哀楽」を分け合えたり、ぶつかりあう場所。だけれど地球は慈しむのです。
生きて居れば、ぬくもりの有る場所へ、たどり着ける
誰にでも等しく地球は慈しむ
「親子、知り合い」と「通りすがりの人、利用する店の店員など」は
付き合うときに心模様もかわる。 心が疲れる事もある 寂しくもなる。それでも人間社会は自分自身と関わって来るから
人付き合いに、ぬくもりを求める。
無器用と言ってられない。家族、仲間、友達、恋人… 職場や学校、地域から国家 そして地球から宇宙へと続く世界は
「自分自身が中心」とココロノシマは捉えてます。
隣人他人も 自分が中心の世界を創っている。
上辺ではわからない 心の世界がある。
喧嘩別れは 自分自身の世界同士が ぶつかりあい ぬくもりを得られない感じだから起こる。
「私とおんなじ所もある」と気づく行動もある。
- 案外と人間は無器用 喜怒哀楽の感情も豊か
- 人は誰でも欲を持っている 現実は欲しいモノを奪い合う世界。
- 人は誰でも迷い 何かを恐れ怖がる。それを隠して強がる人は多い。
- 人は誰でも しあわせに成りたい。欲と迷いが邪魔をするだけ。
- 人は誰でも 愛を欲しがる。何かを恐れ怖がるから、心に温もり、安らぎが欲しい。
だから 欲、迷い、恐れが心の声となる。何をすれば良いか。地球が慈しむように、他人の、その思いを理解しようとすれば良い。
こういう生き方を天然流と呼びます。
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